2021年03月03日
知ってください!古湯の原初枝!!
天才少女歌人 原初枝 歌碑
所在地:佐賀市富士町大字古湯

原初枝(本名松江)は、明治27年7月22日旧南山村古湯に生まれ、女学生時代より短歌の道にいそしみ、その天才的な歌は当時、日本少女の友社の認めるところとなり、月々誌面を飾ったという。明治43年京城の女学校4年のとき天才にはつきものの胸(肺)を病むところとなり、学業半ばにして臥床する身となり、唐津へ転地療養していたが、ここで明治44年12月13日、看病中の母親原勇子女史が逝去し、病床の初枝の悲しみはその極に達し、病床より這い出して冷たくなった母親にとりすがり、嘆き悲しんだという。その時の詠草に、
「雪降れりこたつに入りていま一度おとぎ噺をのう母上よ」と詠んでいる。
その後、初枝の病も篤くなり、明治45年3月19日遂にこの世を去ったのである。享年19歳。
この悲報を知った、東京の少女の友社より駆けつけて、この天才少女歌人を惜しんだという。翌月の誌上には追悼の記事が載せられ、続いて原初枝歌集が単行本として本社から発刊されている。その後七回忌に少女の友社より墓標の写真を撮り、原初枝七回忌号として誌上を飾っている。
墓は古湯の太梅院の墓地に在る。
この短歌に感動した貝野の山中濶氏は、富士小学校の児童の情操教育の一助にと考え、校庭に歌碑を建設。建設工事費全額を負担した。昭和61年8月23日、盛大に原初枝歌碑除幕式が挙行された。
出典:富士町史下 p240~p241


旧富士小学校体育館



●地図
所在地:佐賀市富士町大字古湯

原初枝(本名松江)は、明治27年7月22日旧南山村古湯に生まれ、女学生時代より短歌の道にいそしみ、その天才的な歌は当時、日本少女の友社の認めるところとなり、月々誌面を飾ったという。明治43年京城の女学校4年のとき天才にはつきものの胸(肺)を病むところとなり、学業半ばにして臥床する身となり、唐津へ転地療養していたが、ここで明治44年12月13日、看病中の母親原勇子女史が逝去し、病床の初枝の悲しみはその極に達し、病床より這い出して冷たくなった母親にとりすがり、嘆き悲しんだという。その時の詠草に、
「雪降れりこたつに入りていま一度おとぎ噺をのう母上よ」と詠んでいる。
その後、初枝の病も篤くなり、明治45年3月19日遂にこの世を去ったのである。享年19歳。
この悲報を知った、東京の少女の友社より駆けつけて、この天才少女歌人を惜しんだという。翌月の誌上には追悼の記事が載せられ、続いて原初枝歌集が単行本として本社から発刊されている。その後七回忌に少女の友社より墓標の写真を撮り、原初枝七回忌号として誌上を飾っている。
墓は古湯の太梅院の墓地に在る。
この短歌に感動した貝野の山中濶氏は、富士小学校の児童の情操教育の一助にと考え、校庭に歌碑を建設。建設工事費全額を負担した。昭和61年8月23日、盛大に原初枝歌碑除幕式が挙行された。
出典:富士町史下 p240~p241
旧富士小学校体育館
●地図