2019年03月11日
知ってください!薬師堂!!
薬師如来像
所在地:佐賀市富士町大字中原
文化財指定状況:佐賀県 重要文化財

薬師堂の薬師如来像、等身大(161.3cm)の金色に輝く仏像を祠ってある。
平成10年11月26日富士町重要文化財第2号、
平成15年3月10日佐賀県重要文化財に指定されています。
【祭日】お薬師さんまつり(4月3日に近い日曜日)


お堂は以前、現富士町農協の予冷庫付近にあったが、明治の中頃、昭和バス・車庫前の山手へ50m程登った地に移されていた。しかしこれも昭和61年、現在の区有地へ改築遷座したもので区の薬師堂として祀っている。
本尊の薬師如来像は、平安中期(11世紀~12世紀)の楠の一木造りの立像で、彫眼漆箔、彩色の像高は161.3cmで朱色衣をまとい肉身は金色で、比叡山延暦寺根本中堂の本尊を意識したものであろうといわれている。彫が深く、きびしい顔立ちは古様を重んじる伝統を感じさせ、天台宗の山岳仏教が盛んであった脊振山系の特徴を、よく表して立派な仏像である。
薬師如来像の周りには、12神将の朔像が並んで薬師如来像を護っている、この朔像も相当に旧く製作年代は不明であるが、薬師如来が祀られると同時に造られお護りをしてきたものと考えられる。
薬師堂の鰐口には、周りに天明2年寅小城郡中原宿村若集中、中の方には専福寺という寺号が刻まれている。当時の村の若い衆一同が奉納したものであろう。
専福寺は県内には、佐賀市柳町にある一寺のみなので、この寺に間違いないと思われる。だが、中原宿村や薬師堂とどのような関係にあったのか、どうして専福寺の寺号が刻まれているのかは不明である。
県立美術館の「佐賀の信仰と美術(平成9年1月25日~3月2日)に出品。展示された多くの仏像の中でも遜色のないもので、来館者の注目するものであった。
出典:富士町史下巻 778~779頁






薬師如来の手にある薬壺で、体の具合の悪いところをさすると良くなると地元では伝えられており、遠くからの参拝者もいらっしゃるそうです。
ちなみに、「お薬師さんまつり」は、4月3日に近い日曜日だそうです。
●地図

所在地:佐賀市富士町大字中原
文化財指定状況:佐賀県 重要文化財
薬師堂の薬師如来像、等身大(161.3cm)の金色に輝く仏像を祠ってある。
平成10年11月26日富士町重要文化財第2号、
平成15年3月10日佐賀県重要文化財に指定されています。
【祭日】お薬師さんまつり(4月3日に近い日曜日)

お堂は以前、現富士町農協の予冷庫付近にあったが、明治の中頃、昭和バス・車庫前の山手へ50m程登った地に移されていた。しかしこれも昭和61年、現在の区有地へ改築遷座したもので区の薬師堂として祀っている。
本尊の薬師如来像は、平安中期(11世紀~12世紀)の楠の一木造りの立像で、彫眼漆箔、彩色の像高は161.3cmで朱色衣をまとい肉身は金色で、比叡山延暦寺根本中堂の本尊を意識したものであろうといわれている。彫が深く、きびしい顔立ちは古様を重んじる伝統を感じさせ、天台宗の山岳仏教が盛んであった脊振山系の特徴を、よく表して立派な仏像である。
薬師如来像の周りには、12神将の朔像が並んで薬師如来像を護っている、この朔像も相当に旧く製作年代は不明であるが、薬師如来が祀られると同時に造られお護りをしてきたものと考えられる。
薬師堂の鰐口には、周りに天明2年寅小城郡中原宿村若集中、中の方には専福寺という寺号が刻まれている。当時の村の若い衆一同が奉納したものであろう。
専福寺は県内には、佐賀市柳町にある一寺のみなので、この寺に間違いないと思われる。だが、中原宿村や薬師堂とどのような関係にあったのか、どうして専福寺の寺号が刻まれているのかは不明である。
県立美術館の「佐賀の信仰と美術(平成9年1月25日~3月2日)に出品。展示された多くの仏像の中でも遜色のないもので、来館者の注目するものであった。
出典:富士町史下巻 778~779頁
薬師如来の手にある薬壺で、体の具合の悪いところをさすると良くなると地元では伝えられており、遠くからの参拝者もいらっしゃるそうです。
ちなみに、「お薬師さんまつり」は、4月3日に近い日曜日だそうです。
●地図
