2017年06月24日

富士町のチョット情報!!

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簡単な情報ですが、小出ししていきます!

3月28日
関屋地区高野岳の白山神社

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高野岳にある白山神社は、現在も神仏混交の名残をとどめている。白山の名は加賀(石川県)の修験道と関係が考えられる。事実古い鳥居に「白山彦山大権」とある。奥の院の石灯籠には、元禄11年(1698年)の銘がある。この奥の院には近年まで山伏の参籠があり修験道場であった。ここは白山や豊前(大分県)の英彦山と同系統の天台宗系道場であったが、弘法大師伝説により、この地が「高野山に似たり」という理由から高野岳と名付けられ、真言宗の良源寺が同居することになった。この社は永延2年(988年)この地頭領関屋源八郎義家(刑部卿貞鑑親王六世の孫)によって加賀の白山権現より勧請したと伝えられている。この場所は先記した修験場のあったところで、「鎮西誌」にも「応和2年(962年)2月25日初践開肥前国北山之峰 令修験山入部修行 以牛尾山別当爲先達」などとみえる。関屋源八郎の後裔が明治20年ころまで36代宮司をつとめた。
(富士町史下395頁)

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3月27日
大野地区の春日神社

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小中一貫校北山校の隣にあります。
天井絵馬が綺麗です。
下から眺める一枚一枚の絵が、とっても鮮やかなものです。

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由緒
後土御門天皇の延徳・明応間(1490年頃)小城郡14か山の地頭野辺田豊前藤原朝臣政房が当社を勧請。明治6年村社となる。祭神国常立尊外八柱は無格社合祀によって追加、同社の鳥居は寛文6年(1666年)願主大宮司中村和泉守藤原重貞と銘してある。(富士町史397頁)


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3月24日
古湯の宮の淵

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宮の淵橋横のイチョウの木一帯は、旧藩制時代までは淀姫神社が建っていた。
初代小城藩主、鍋島元茂公の観請により建設されたもので、宮の淵は往時の淀姫神社の跡地としての名称である。

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昭和初期までは屋形舟が浮かび、河畔には少憩亭などがあり温泉観光客で賑わっていた。
温泉郷を流れる川緑の遊歩道から眺める宮の淵橋とその静かな佇まいは実に素晴らしい。

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3月22日
畑瀬のおちゃっさんの滝

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「おちゃっさん」とは、お大師様(弘法大師)がなまったものだそうです。
滝は北部消防署富士出張所の向かい側の看板から100mほど登るとあります。
その側に祠があり、弘法大師を祭ってある地区の守り神さまです。

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「おちゃっさんの水」は滝の横井戸から湧き出る水で、多くの方が汲みに来られています。

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みなさんもここのご利益を賜ってみてはいかがですか?

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3月20日
下無津呂地区の乳母神社(めのとじんじゃ)
この名前のつく神社は全国でも少ないそうです。
昔は栄養になる食事も少なく、実母に代わり乳母が赤ちゃんに母乳を与えていたと言うことです。
上無津呂の淀姫神社とは姉妹の神社といわれていますが、神水川の流れに沿って淀姫神社(上無津呂)乳母神社(下無津呂)子安神社(栗並)とあるのは偶然ではなく、太古の昔からの流れを汲む貴重な文化があるのではないかと考えられます。
松浦 嘉瀬の流れにはヨドヒメと名のつく神社が多数ありますが、上無津呂の淀姫神社が最古の建立となっていて、2000年の祭礼もとり行われました。

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由緒
創立年代不詳、元亀3年(1572年)3月神殿再建、貞享2年(1682年)5月拝殿再築の旨該社旧記に見ゆ、勧請の縁由等は不明なり。昭和9年火災により焼失、同年再建築。
富士町史下巻399頁

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2月5日
古湯地区、天才少女歌人 原初枝 歌碑
旧富士小学校跡地の敷地にある歌碑の紹介です。
原初枝(本名松江)は、明治27年7月22日旧南山村古湯に生まれ、女学生時代より短歌の道にいそしみ、その天才的な歌は当時、日本少女の友社の認めるところとなり、月々誌面を飾ったという。明治43年京城の女学校4年のとき天才にはつきものの胸(肺)を病むところとなり、学業半ばにして臥床する身となり、唐津へ転地療養していたが、ここで明治44年12月13日、看病中の母親原勇子女史が逝去し、病床の初枝の悲しみはその極に達し、病床より這い出して冷たくなった母親にとりすがり、嘆き悲しんだという。その時の詠草に、
「雪降れりこたつに入りていま一度おとぎ噺をのう母上よ」と詠んでいる。
その後、初枝の病も篤くなり、明治45年3月19日遂にこの世を去ったのである。享年19歳。
この悲報を知った、東京の少女の友社より駆けつけて、この天才少女歌人を惜しんだという。翌月の誌上には追悼の記事が載せられ、続いて原初枝歌集が単行本として本社から発刊されている。その後七回忌に少女の友社より墓標の写真を撮り、原初枝七回忌号として誌上を飾っている。
墓は古湯の太梅院の墓地に在る。
この短歌に感動した貝野の山中濶氏は、富士小学校の児童の情操教育の一助にと考え、校庭に歌碑を建設。建設工事費全額を負担した。昭和61年8月23日、盛大に原初枝歌碑除幕式が挙行された。
富士町史 240~241頁より
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1月16日
藤瀬地区の藤瀬神社
鳥居には藤瀬大明神とあります。
しゃくなげ湖に流れこむ上流に位置し、上流には北山湖があります。
北山ダムの建設当時は沢山の工事関係者で賑わっていました。
その藤瀬地区の氏神さまとして祀られており、境内には藤の花の棚があり、紫の花が咲き春には見所となります。

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由緒
古老の口碑に伝う、筑前国宗像郡宮辺津宮ほか一社をうつす。
鎮座年記不詳といえども平氏族滅の時といい、あるいは鍋島初祖代という、両伝いずれが是だあるか分からない。(富士町史下399頁)

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12月5日
中原地区の「けんのん森の花道」
富士町には6つのトンネルがあります。
「けんのん森の花道」
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「古湯温泉トンネル」
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「北山トンネル」
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「畑瀬トンネル」
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「須田トンネル」
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「雄淵トンネル」
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雄淵トンネルが出来るまでは全然無かったものがトンネルのおかげで陸の孤島が福岡 佐賀 唐津までそれぞれ30~40分で行ける程になりました。

「けんのん森の花道」
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えっ!と思われるかたが多かったと思います。
このトンネルは大串から中原につながる道路で、ダムが出来る前はけんのん峠を越えて学校へ行っていました。
しかし、このトンネルで学校までは随分と近くなりました。
ダムの計画でこのトンネルが通ると決定した時、子供たちに募集したのがこの名前でした。
トンネルじゃなく花道とは…?
発想の転換!見習いたいものです。

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10月21日
鎌原地区の氏神さまの鎌王宮
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このお宮は女性の神様で男の裸姿を嫌われて、奉納相撲や男女一緒に参れば嫉妬されるとのこと❗
ただ、子供さんは大好きだそうです。
地区にある大きな石に乗って天から舞い降りられたそうです。
昔は天衝舞が奉納されており、その衣装は公民館に保存されていますが、昔は二十数戸ほどあったものが10戸ほどに減少して休止されています。
鳥居の内側には天衝舞が舞われる場所が名残として残っています。

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昔は鎮守の森は大きな樹木があり神社があるのはすぐにわかりましたが、今は周辺の木々がおいしげり分からなくなっています。
ちょうど地区の中ほどにあり、川の流れがそばにありました。

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10月6日
太閤石
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秀吉公が名護屋城居城の折、この地を訪れ一服され、腰を降ろされた太閤石は旧国道の今のしゃくなげの里の麓にありました。
移設され現在はダムの駅付近にありますので散策してみてはいかがですか。
現在はしゃくなげの里に恵比寿さまが空を見げ水の提供と平穏無事を見守って戴いております。

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富士町史より
西畑瀬の道沿いの田んぼのなかに長さ1m、幅50cmほどの平たい石がある。腰掛けるには恰好の石である。しかし、石に腰掛けると腹が痛くなるといい、地元の人が座ることはない。豊臣秀吉が名護屋へ行くときに、当地を通り一休みされたときに座った石といい伝えられ太閤石という。千頭の馬が休んだという千駄ケ原という地名が残っている。
秀吉がこの石に腰を掛けたかどうかはわからぬが、名護屋に在陣中、母大政所の病気で伏見へもどり、再び肥前へ下向したとき、佐賀上道(現大和町春日付近)を通っている。文禄元年(1592)10月のことである。川上川の下、名護屋渡りというのは、そのとき秀吉が渡ったので、そう呼ぶようになったという。
出典:富士町史下 626~627頁

場所のヒント:現在は、畑瀬団地前の付替え国道の脇に移転している。

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9月15日
鮎の瀬(地名)の由来❗
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昔は北山から平野部まで筏で材木が運ばれていましたが、嘉瀬川で一番の難所がここの雄淵雌淵でした。
古湯村の青年と熊の川の庄やの娘が恋におち、ここで密かに愛を重ねていました。
しかし、娘には許婚がおり、親の反対で結婚出来ない運命でした。
たまたま、二人が愛を育んでいる時に北山からの材木が流れつき、二人はそれで社を組み遊んでいました。しかし、筏の持ち主は二人に返してくれと懇願し、二人の秘密を約束のもと、無事に平野部まで木材を運び届けたと云うことです。
その後、青年は雄淵の岩になり、娘は雌淵の岩になったそうです。そしてふたりの座った岩が夫婦岩に…
二人が出会った場所(瀬)つまり【合いの瀬】が鮎の瀬になったとのことです。
遊歩道も整備され、涼しさが体感でき、中国の四川省に似ていると言われる風光明媚なところです。

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8月9日
菖蒲の「かっちゃ石」
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銀河大橋の東側の高台に、大きな石3個が三段重ねとなり、珍しい景観を造っております。
「昔、鬼が土地の庄屋さんの頼みを聞いて、一夜のうちにこの石を運んだ。両袖に1個ずつ、頭の上に1個を乗せて持って来たそうな。」という話が残っていて、以来里人は“決して落ちない重ね石”として信仰されております。

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6月24日
上無津呂の淀姫神社
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淀姫神社は河川に沿ってある神社で、ここは最上流に位置する神社です。
大和町にある與止日女神社は 備前国一宮ですが、豊玉姫を祭神とする淀姫神社とも書くそうです。
創建は上無津呂の神社が50年ほど早く2000年祭が一昨年執り行われました。
この神社は戦国武将の神代勝利公とも縁が深く神代家鎮護の神として刀二振りを奉納しています。
また、なまずが祀られており栗並地区にある夫婦石は、そのなまずが引き上げていたものと言われています。
上無津呂の人々は今でもナマズは一切口にするようなことはありません。
この神社の川は神水川(しおいがわ)と呼ばれています。
富士町の自然の移り変わりの中にある史跡を巡って見てはいかがですか(^-^)/

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Posted by 21世紀県民の森  at 13:21 │Comments(0)富士町情報

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